「なう」文化の終焉

とある日、とある場所に用事があるため向かった先で、夕飯を食べた。私の大好きな中華料理のお店で、五目あんかけ汁そばとチャーハンのセット。美味しそうなので思わずスマホで写真を撮ろうとして、考える。

2008年の私なら、これを「美味しそうな汁そば〜」といって、Twitterにあげていただろうと。

 

わたしたちは、いつから、その場で「〜なう」をすることを躊躇するようになったのだろう。

 

最初に思った窮屈さは、2009年だった。休暇をもらって遊びに行った先で、きれいな景色をTwitterにあげたところ、某事業部の人から「研究所の人はいいですねえ、お休みは自由に取れて」と、「わざわざ」メールで頂いたのだ。おや、有給休暇ですらだめなんですかね。その方とは一度もTwitterで交流したことなかったのですが。

 

そのあと、そういう遊びの写真を共有するのはFacebookへと移った。Twitterの見知らぬ誰かと会話する楽しさは残して置きたかったし、友達を管理できるFacebookはうってつけだと思ったからだ。しかし、Facebookが一般に急速に浸透し、一回お会いしただけの人からの友達申請も増え、誰が見てるかわからないという意味では段々とTwitterに近づいてきた。ある人の誘いを断って他の人と遊ぶ、とか、山のように来ているメッセージをさばけないまま、遊びの写真をあげるとか。どう思われるんだろうと。

今の若い人たちは、美味しいお店やきれいな景色、買い物の穴場を見つけるためにはInstagramやsnapchatを使うという。ハッシュタグやチェックインで場所やお目当てのものをざっと視覚的に見て、気にいるものを手に入れるのだ。そこにはリアルタイム性はない。気に入ってから、これはいつのだろう、2週間前だからまだあるかな、のような情報収集の方法をとる。自分も、楽しんでいるその瞬間ではなく、あとから、写真を加工したり数枚を編集したりして、一番アピールできる形でハッシュタグと場所の情報を加えてあげるのだ。

そういえば、私も、今日はまだ原稿ができていないままここに出かけてきている。もちろん、自分の中にはこちらの用事を優先する理由がある。でも、もし、編集者の方が見ていたら?なんで締め切りを守らずにこいつは汁そば食べてるんだ?とか思われたら?

ええ、美味しい汁そばのアピールは、別にリアルタイムでなくてもいいですよね。

そして、このブログもきっと、今は保存されて、そして、原稿を提出したらアップされるのですよ、きっと。

 

そして、汁そばの写真、撮り忘れた笑