マレフィセント
出張に行っていてしばらくブログを更新しませんでした。始めた時に毎日、できれば週5日は更新したいと思っていたのですが、このブログも3日坊主になるところでした。危ない。
出張で飛行機に乗ると映画を見るのが楽しみなのです。だいたい行きも帰りも仕事がたまっているので本当は仕事しなくちゃいけないんですけど、やっぱり映画を見てしまいます。行きもみたのですが、まずは帰りに見た「マレフィセント」。
この映画はディズニーの「眠れる森の美女」の実写版。とはいえ、視点が呪いをかけた張本人のいわゆる「魔女」側から描かれています。この魔女が「マレフィセント」です。
ネタバレになるのであまり書きませんが、最初から悪の人はいないということが描かれています。悪は人を恨むことによって生まれてくる、あるいは人に恨まれて悪になる、ということ。そして、以前から「誕生パーティーに招待されないで呪いかけちゃうなんて魔女は随分と自分勝手ね」と思っていたのですが、これは・・・呪いかけるわ。うん。
結局、真実の愛というものはないのかどうなのか、わからないのです。以前からもう一つ疑問だった、「初めて会った姫を見て「なんと美しい!」などと言ってキスする王子が本当に真実の愛を持ってるのか」という疑問にもこの映画は答えてくれます。
それにしてもマレフィセント、男見る目ないわね。疎遠になってから突然連絡よこすような男にろくなのはいないのよ。あと、男の野心ってのは結局全部を失うってことなのよね・・・
ディズニー映画ですが、深いです。見てない方には、ぜひ、おすすめ。
ちなみに原作のアニメを見ておくと、さらに面白いらしいですよ・・・
IBMマラソン(10km)完走!
本日は会社のランニングクラブが主宰のマラソン大会でした。親子ラン、チームリレー、そして個人 10kmとあるのですが、私は個人10kmに出場、完走しました。
Facebook広告の効果
MacbookでiTunesを使う時の落とし穴
1ヶ月ほど前に、Macbookを購入しました。12インチの新いMacbookです。
Type-Cのポートが一つ、という以外は何も不安がなかったのですが。通常の使用(Webブラウジング、メール(と言っても最近は殆どメールはgmailなので)とちょっとしたPythonプログラミング)では本当に問題ありません。キーボードも結構打ちやすいです。先日はイベントにも持って行きました。軽くて、出先に持っていくのには調度よいです。傷がつかないよう、カバーも買いました。クリアなので良い感じです。
慣れてきたしちょっと時間もできたので、完全に家の環境をMacに移したいと考えました。今まではLenovoのデスクトップを使っていたのですが、OSはなんとWindows XP。ネットには繋がないどころか、最近じゃ怖くて電源すら入れておりません(^^;; ただ、写真やITunesのライブラリなどはここにあるので、これをどうにかしてMacに移行してXPとおさらばしたい。Linuxとか入れてもいいななんて思っております。スペック的には余裕だしね。
ただ、MacbookはノートでSSDなので容量小さいのですよね。家には無線ネットワーク接続のできるHDDがあったのですが、最近調子も悪く、安い外付けUSBのHDDを買いました。3TBで1万円ですよ。安いですね。
しかしですよ。UBCしかもType-cのポートがMacbookには一つしかついていないのです。しかも、Type-CからType-Aへの変換も1つしかされないのです。
iTunesとiPhoneは無線でつなぐとしても、HDDを繋いでしまったら外付けのdriveが読み込めないのです・・・ハブでつなぐと、残念ながら電力が足りずにApple USB Superdriveの電源が入らないという(涙)CDからの読み込みは諦めるか、電源供給は別に行うdriveを使うか、になるのです。あとはType-CからType-Aへの変換をもう一つ買うって手もあります。そうすれば一応使えますね。
かなーり、残念な結果です。やっぱり、ポートが1つだけって結構無理ありますよね。今後、Type-Cがスタンダートになることはあるかもしれませんが、ポートが一つしかないこのMacbookが今後受け入れられていくのかは興味深いです。
インターン最終日
減災ソフトウェア開発に関する1日会議
先週の土曜日のことですが、減災ソフトウェアに関わる1日会議2015に参加してきました。このイベントは今年で3年目、私は昨年に引き続き2回目の参加です。
今年のテーマは「パターンランゲージ」を利用したITに関する減災につながる行動や仕組みの「パターン」を探るというもの。
サバイバル・ランゲージ・カード(大地震を生き抜くための知恵)
- (シンプルな)名前
- 背景
- 問題
- 解決法
私は「なにか新しいアイデアを生み出そう」というメンタリティからなかなか抜け出せず、かなり生みの苦しみを味わいました。最後に、出来上がったパターンの発表もしたのですが、かなりブラックなものや解決していないものも多いので、ここでは発表せずにおきます・・・(笑)
「◯◯、教えてくださいよ」における質問の粒度について
最近、人工知能がブームです。
いいことだと思います。私、人工知能学会理事ですし、一応。
で、よくある困ったこと。それは「人工知能、教えてくださいよ」というお願い。
人工知能に限らず、「〜を教えてください」と言われるもので困るものってよくあります。
今日も、「機械学習教えてください」って言われて、うう?と唸ってしまったのです。質問してきたのは、技術者としてすごい方です。ただ、昨今の人工知能、機械学習はあまりご存知ないらしく、上記の発言に至ったと思われます。
でもね、機械学習っていろんな側面があるのです。そもそも機械学習ってね、教師ありと教師付きがあって・・・という一般的な話を知りたいのかしら。でもそのくらいはご存知そう。それにそんなのは「機械学習」でググればささっと出てくる。じゃあ中身をどうやっているか知りたい?いやいや、一口に機械学習って言ってもいろんなものがありまして・・・理論を全部知りたいですか?それともなにかツールを使えるようになりたい?実際のモデルの作成や計算はいいけど、こういうデータには機械学習が使えるよってことを言えるようになりたい?
というように、聞かれた方が何を教えていいのかわからず、うううーん、と唸ってしまうわけです。実はこの方には正直に上記の質問を投げ返したところ「出直します」と言われてしまいました。申し訳ない。かたじけない。教えたくないわけじゃないのです。すみません。
逆に、自分が誰かに教えを請う時も、ちゃんと相手が答えられる粒度にまで持って行こうと思ったのでした。だって私も、「ウェブ技術について教えてください」とかうっかり言っちゃいそうですからね。