義務教育の必要性とAI

NIIの新井先生の記事が載っていました。

www.nikkei.com

 

読解力の低下の例として、教科書に書いてあるものをちゃんと理解できるのかという問題が示されています。
 この記事を読んで思ったのは、理解力の低さと貧困層の関係です。ここに示された例くらいの理解能力がないと、今の社会では、悪い人にいいように利用されて貧困層に陥ってしまい、底辺から抜け出せなくなっている事実があります。
 利用規約を読んでも理解できない、自分に不利な契約書にハンコを押してしまう、自分がハンコを押した契約書と違うことを要求されても、それを理解できず訴えられたり捕まるのが嫌でいうことを聞いてしまう - これは全部、読解力のなさ、理解力の低さから来ています。最近話題になったAV強制出演の問題の一部も、関係していると思います(実際には履行義務のない契約を従わなければいけないと思い込んでいた)。
 以前は教育の差があり、一部の人たちは「文字が読めない」ことで不利益を被っていました。識字率が上がったと言われる今、文字列はわかっても意味を理解できていない本当の意味では読めていない人が、文字列が理解できるというだけで責任能力を問われているのが現代なのです。
 義務教育は、このような不利益をすべての人から排除しようと導入されたはずですが、形ばかりの教育によってやはりこのような不利益層が生まれてきているのだと思います。新井先生はこのあたりのことを指摘したいのではないかなあと思うのですが、これがちゃんと記者に意図として伝わったのかどうか疑問です。さらに、これを読んだ読者も「できない人は構わないでいいだろう」と思ってしまうのではないかと危惧をしています。問題は、もっと本質なところにあります。
 この記事の元は「ロボットは東大に入れるか」というAIの話です。AIの可能性は大きく利用価値もありますが、一方で人間は完全に基本的な理解力を持っていなければ、それを利用する事すら出来ないということを理解しておかなければいけないのです。AIの時代が到来して、一部の「頭のいい悪人」が「理解能力の低い人を利用する」世界がさらに加速しかねないのです。全体的な「底上げ」というよりは、人間にとって必須のスキルセットが、言語理解能力なのではと思います。